国分寺の七七舎さん

国分寺で2016年〜古本屋さんを営まれてきた【七七舎】さんが、今月末で閉店されるとの事。

今月半ば、お店に立ち寄り、スタッフさんから直接聞き、遅らせながら知りました。

「へぇ-そうなんですか。とても残念です〜」スタッフさんにそうお伝えしたら、「来月末からイム書房さんという古本屋さんが営業されます」との事。今後は、不定期で古本を売る、との事。(場所は今の店舗と同じく国分寺北口、早春書店さん並びのスペースにて)

七七舎さんは、2018年頃から、(古道具屋の康郎さんに教えて頂き) ちょくちょく来てました。

最初に購入した本は、深沢七郎さんのエッセイでした。

最近、国分寺に月一、二回来ていて、帰りに古本屋さんに寄るのが楽しみで、七七舎さんに寄ると、欲しい本に出合えると(石牟礼道子さん、庄野潤三さん、志村ふくみさん、谷川俊太郎さん、大岡信さんの本etc...) 気持ちがほくほくして気持ちがパーッと晴れて、胸に抱いて帰りました。欲しい本と出合えない時も、立ち読みして、驚きや、知っていた作家の別の仕事を垣間見たりして興味を広げてくれて、本当に感謝してます。100均コーナーも充実してたなぁ。

又、名も知らぬ作家の古い手作り本等も大切に置かれていたりして、とっても好きな古本屋さんでした。

今日も訪れましたら、常連さんらしき方がスタッフさんと名残惜し気に会話ん楽しんでおられました★

今日は、(著 安住孝史 東京、夜の町角) という鉛筆画で描かれたエッセイ(文庫本)と出合えて嬉しかったです。お礼をスタッフさんに直接伝える事が出来てよかったです。

七七舎さんで買った本から気づきを貰えたり、いろいろいろいろ。これからもそれは続くと思われます。約8年間、本当にありがとうございました。

 

 

 

芽吹き

今日、うちの庭に出てふと見上げたら、梅の木の枝に蕾を見つけ、びっくり。うれし。ラッキー。密かに感激。声もでない程。まだ寒い日が続くなか、こんなにピンク色に、なんともたくましい。いじらしい。朝晩寒いだろうに。咲く前に、こうゆう風にピンクが濃くなるのね。私も寒さにめげず、いろいろ乗り越えていこう。胸に情熱、愛を燃やして。

SNSから離れて

いろいろ事情があり、ほんの数日だけれどSNSから離れてみた。昨日迄は正確には99%。でも今日は今のところ100%離れている。この感覚、なんて云ったらいいか。そう、なんだか山小屋にいるような感覚が訪れている。静かだ。さっき散歩してたら、今の自分の状況について考えを巡らしていた。最近始めた習い事の事(10年からいつか習いたいと思い続けてきた)。 小さい頃から好きな文章を書く事が出来ている日々。(持病があり3年間書けなかった) それを思うと、今の私の環境はなんて恵まれているのだろうか、という思いが湧き上がってきた。これが地に足を付けるという事かも知れないと思ったりして。家族に感謝。当たり前の事を忘れてはいけないと思った。気持ちが外ばかりに向いていると自分を見失う。気がざわざわしていると自分仕事に集中出来なくなることに改めて気付く。

今後どれくらい離れるか、離れられるかわからないけれど、今製作中の同人誌が完成する日の前後くらいまでは続けていこうと思う★

谷川俊太郎 絵本★百貨店

先日、立川のPLAY MUSEUM へ、谷川俊太郎 絵本★百貨店を見に行ってきた。

受付でチケットを購入した際、トイレットペーパーを貰う。ペーパーに詩が書いてあるらしい。

 今回は谷川俊太郎さんの仕事のうち、絵本に特化した展示という事もあり、子供も大人も楽しめる仕掛けが所々にほどこされていた。けんけんぱをしながら言葉遊びを楽しんだり、じゃらじゃらと音が出る楽器で音を楽しんだり出来る。コップという作品は、実際のコップが頭を入れられるぐらいの大きさで展示され、頭を入れて遊んでる人びとの姿もあった。

私が印象に残ったのは、「まるのおうさま」が映像化されたもので、それぞれ、自分がまるのおうさまだ、と競うが、ラストがその争いをくつがえすような終わり方でよかった。

後、谷川俊太郎さんの絵本が棚にたくさん置いてあり、その前に椅子があり自由に読めるコーナーがあり、何冊か読んだ。最も印象に残ったのが、「ありがとう」で、シンプルな言葉と透明感のある絵の作品。ラストまで読んで、じわじわどーんと胸に響いた。素敵な本に出会えてよかった。(後から後から気になり本を購入)

谷川さんの作品はほぼ読んできたつもりでいたが、まだまだ知らない本があるのだなぁ、と感慨深かった。

人それぞれに大切な一冊に出合えるような展示だと思いました〜。

玉川上水散歩

先日、日課玉川上水散歩をしていたら、前方に、ぬぼぉというのか、ずんぐりというのか、ちょっと異様な存在感のあるおじさんの姿が視界に入った。犬を連れていた。その場に立ちすくんでいる。おじさん、背中に立っている木と同化しているように見える。近くまでくるとおじさんが連れていたのは、黒と白い毛の柴犬だった。私はそのおじさんの前を通リ過ぎようとして何故か、犬を見ながら「何歳ですか?」と聞いていた。おじさんは、私に目をやると、「9ヶ月」と人懐っこい感じで云った。(だからあどけなさがあるのね、柴犬ちゃん) なんだか私は嬉しくなって、「お名前は?」と口走っていた。と、おじさんは、「うどん」と食べ物のうどんとは違う発音で云った。「うどんちゃんていうんだ、こんにちは〜」とタメ口で言って、手を軽く振りながらうどんちゃんを見ていたら、うどんちゃんは、ぷい、とそっぽを向いた。私は、「馴れ馴れしくてごめんね」と云ったあと、ゆるりと歩き出した。そして歩いてすぐの上水道とは反対側の小さな橋の上に立って水の流れを見ていた。ふと気が付くとうどんちゃんが好奇心いっぱいの目で私を見ていた。なんとも云えず可愛かった。(えー、さっきはそっぽを向いてたのに、私の事、気にしてくれてるー) なんだか私は嬉しくて満ち足りた気持ちになり、「またねー」と上水道を歩いて帰途についた。おじさんの声が、なんだか深沢七郎のようだったなぁ、と思いながら。はて、私はいつ本物の深沢七郎の声を聞いたのだっけ?YouTubeとかだった気がする。低くて太くて少ししゃがれた声だ。玉川上水深沢七郎とうどんちゃん

又会えたらいいね。ありがとう。

根気笛のヒト

先日、玉川上水を散歩していたら、前方からピーピーと音が聞こえてきた。数十メートル先に、ある女性が、ベンチに座って、葉っぱを口に当てて音を奏でているのだった。帰り道だったので、私は少しずつその女性に近くなり、いよいよ前を通り過ぎようとした時、(あれ?何処かで聞いたことあるメロディ、、なんの歌だっけ) 

女性の前を通り過ぎてそのメロディを頭の中で反芻しながら数メートル過ぎた時、気付いた。「もしもピアノが弾けたなら」確か、西田敏行が歌ったやつだ、と。(いいメロディだなぁ。なつかしい) そう思っていたら、女性は、曲を吹き終えた。私はゆったりとスローなリズムで拍手をしながら、振り返った。すると女性は立ち上がり、私の方に歩いてきた。私も今来た道を戻って、女性の方へ歩いて行った。私はその間、ずっと拍手をしていた。私は女性に、「なんの曲か分かりました。もしもピアノが弾けたなら ですね」女性は頷いて、ふたりは前を向いて (私の帰り道) 歩き出した。女性は、後期高齢者だと自分から話してくれた。(後期高齢者って、何歳かしら)

女性の頭に小ぶりな帽子がぽんと乗っている。綿のチュニックを小洒落に着こなしていて、私には年齢不詳に見えた。女性はその後、「上を向いて歩こう坂本九、「瀬戸の花嫁小柳ルミ子、その他知らない曲などを、葉の笛で吹いて下すった。

途中、一度葉を変えたりしながら。・・・彼女のワンマンショーだ。それを独占してる私・・・

女性と私はゆっくり上水緑道を歩いた。なんだかいつもの緑道ではなく、草原に来ているような気になった。女性の話によると、最初は吹き方をヒトに教わったとの事。音を出すのはわりと簡単だけれど、音階を自分で出せるようになるのが難しかったとの事。今までに教えて欲しいというヒトがいて教えてあげた事もあったけれど、多くのヒトが歌を吹けるようになる前に辞めてしまったとの事。でも少人数、吹けるようになったヒトもおられたとの事。「私はね、根気笛って呼んでるの」と教えてくれました。根気強くやらないと歌を吹けるようにならないらしい。その後、歩きながら玉川上水に咲く、ふでりんどう、という名のかわいくて小さい藤色の花が咲いてる事を教えてくれた。又、笛にするのに適している葉がどこに育っているのかも教えてくれた。緑道から道路の通りに出て、又私は右の緑道を。女性は左の緑道を、互いに並行して別の道を歩いて帰った。途中で「すみません〜」て声のする方を見たら、上水を挟んで向こう側を歩いていた根気笛の女性が「ここにりんどうがたくさんあるからね〜竹藪のなかよ〜」と又、教えてくれて私は「ありがとうございます〜」と返した。

私は自宅に着いてからも、後日、玉川上水を歩いてる時も、じわじわとその出会いを思い出してる。又お会い出来る事があるかしら、と思ったりしてる。あのヒトが笛を吹く行為は、玉川上水全体が身体に入っているから出来るのではないか、と思う。

だって、一枚の葉は、木の枝に付いていて、光合成をしたりしてる。木の枝は幹に繋がっていて、幹は土のなかに根を生やしているのだから。

私も言葉の土壌を耕して自分という木に生える葉を通して根気強く言葉を出していきたいと思ったりした。

腕に刺青

一昨日、山手線に乗って座ってたら、向かいに両腕に刺青をした若い外国人の青年が座ってた。刺青をずっと見てたら、日本の神に備える玩具?のようなデザインだった。私は渋谷で降りて彼も渋谷で降りた。私がずっと刺青を見てた事に気付いていたのか彼は腕を私の方に見せるように、わたしの斜め前を歩いて行った。彼の友人らしき若い外国人の男性は、何度か私を振り向いて爽やかな笑顔を見せた。何だか不思議とすごく暖かい気持ちになった。平和なひと時だと思った。刺青の彼は日本の文化が好きなのかなぁ、て思った。彼はすごく堂々としてて、なんだか愛くるしく感じた。皆んな自身の感覚を大切にもがきながら生きているんだなぁ、て後から後から思ってた。